★《知る》書き手と読み手の無知の知
あらまし:知ったかぶりしてはいけない。知識などというものは、深いつもりで浅いものだ。
本を書くということは、自分の「伝えたい」ことを表現するひとつの方法といえます。本を書く際には、書き手に対して読み手、内容を講演する際には、話し手に対しては聞き手という関係性があります。
他人は、自分の知らない事柄を習得するために、読み手、聞き手になり、感動します。このため、他人が知らない事柄(または、さらに深い事柄)について、わかりやすく書いて理解してもらわなければ、何の感動も与える事はできないでしょう。
分かってもらうためには、まず初めに、すでに他の人によって明らかにされている「周知の事実」を調べ、これを参考に自分の「既知の内容」を説明していくことが必要です。さらに最後に次の課題として、自分も他人も知らない「未知の事柄」を上げる事によって、その方向性を明示。自分への理解を深めてもらうことができます。
他人が知っていて、自分が知らないことを「無知」といいますが、ソクラテスの「無知の知」のたとえのように、知識の深度により、その「無知」の考え方は変わってきます。知らないからと言って、自分または他人が「無知」であると考えるのは、決して正しい見方とはいえません。
● 読み手 「わたしは、詳しく知らなかったので、あなたの本を読みました。」
● 書き手 「そうでしたか。わたしの本で、ご理解いただけましたか?」
● 読み手 「あー、その程度のことならば、知っていました。」
よくあることです。
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