★《撮る》感動を伝えたい相手とは誰?
あらまし:「感動の一瞬」を伝えたい相手、それは「未来の自分」なのかもしれない。
以前、デジタルカメラは撮り直しができるところがいい、と主張した友人がいました。撮り直しをすれば、いい写真が撮れるというわけです。いい写真とは、それは、「感動の一瞬」をとらえた写真のこと。しかし、撮り直しをすれば本当に「感動の一瞬」をとらえる事ができるのでしょうか。
学生時代3年間、志賀高原は湯田中の、街の写真屋さんでカメラマンのアルバイトをしたことがあります。午前中に生徒の滑りの写真を撮り、午後に現像(当時はモノクロもカラー写真も手動で現像)、そして夜に生徒の宿泊先に売りにいく、という仕事。通算で1万枚ほど撮りました。
本当は、そんな枚数、覚えてはいないのですが、3年x60日/年x100枚/日x60%、とすれば、ざっくり1万枚。午前・午後の連続撮影もあれば、ない日もあったので、おおむね60%程度が撮影日。そのあたりは「とにかく多かった。:-)」と解釈していただければと思います。
しかし、素人に毛が生えた程度の技量ですので仕方ないことですが、一生懸命撮った1万枚の写真のうち、「これはいい!」というのは、たった2枚のみだったことは、非常にがっくりいたしました。それでも、この2枚の写真に感動してもらい、「全紙(新聞の大きさ)で引き伸ばしてくれ。」との注文をもらった時は、とてもうれしかったですね。
「感動の一瞬」を捉えるということでは、ビデオカメラ(動画)があります。ビデオカメラは、いうなれば、撮り直しの連続ともいえるので、しばしば「決定的瞬間」をとらえます。しかし、記録性の高さが群を抜くだけに、いくつもの「瞬間」が重ね合わさったビデオ画面のイメージは、本当に観る人の「感動の一瞬」として記憶されるのか?、というと、いささか疑問です。
その点、写真は静止画1枚。それしかないので、その画像1枚と、撮った人の想いを、観る側は記憶せざるをえないわけです。観る側の知識や体験の違いもあり、非常に主観的な見方ですが、何かを感じることのできない写真はたいしたことはない、ということになります。
それでは、デジタルカメラとフィルム(銀塩)カメラとは何が違うのでしょうか。
デジタルカメラの長所のひとつは、その場で確認して「撮り直しができる」ことであり、フィルムカメラは、その場で確認できないので、「撮り直しができない」ということが短所といわれていました。昔は、フィルム代や現像代が高かったので、余計、そのようなことが言われたのでしょう。経験の豊富さが、撮る人の絶対的な強み、でもあったわけです。しかし、「撮り直しができない」からこそ、「気」の入れかたが、デジタルカメラとは違うんですね。最大の欠点こそが、最大の長所と考えてもいいように思います。
撮る側の「気」は、観る側にも通じます。それは、「感動の一瞬」を、観る側でもイメージとして再現できるということです。ジーッと見入る1枚の写真(絵画)。観る側は、何かを感じとっている。そういう光景は、よく見受けられます。「いい写真を撮りたい。」ということは、まさしく「感動の一瞬を撮りたい。」ということ。しかし、よくよく考えてみると、その本質は、1枚の写真で、その時の「感動を伝えたい!」ということなのではないでしょうか。
それにしても「感動を伝えたい」相手とは、いったい誰なんでしょう・・・・。
デジタルカメラの長所のひとつは、その場で確認して「撮り直しができる」ことであり、フィルムカメラは、その場で確認できないので、「撮り直しができない」ということが短所といわれていました。昔は、フィルム代や現像代が高かったので、余計、そのようなことが言われたのでしょう。経験の豊富さが、撮る人の絶対的な強み、でもあったわけです。しかし、「撮り直しができない」からこそ、「気」の入れかたが、デジタルカメラとは違うんですね。最大の欠点こそが、最大の長所と考えてもいいように思います。
撮る側の「気」は、観る側にも通じます。それは、「感動の一瞬」を、観る側でもイメージとして再現できるということです。ジーッと見入る1枚の写真(絵画)。観る側は、何かを感じとっている。そういう光景は、よく見受けられます。「いい写真を撮りたい。」ということは、まさしく「感動の一瞬を撮りたい。」ということ。しかし、よくよく考えてみると、その本質は、1枚の写真で、その時の「感動を伝えたい!」ということなのではないでしょうか。
それにしても「感動を伝えたい」相手とは、いったい誰なんでしょう・・・・。
昔、フィルムカメラで写真をよく撮りました。いまも、わが愛機ミノルタSRT101は健在です。続々と発表されるオートフォーカス(自動焦点)など、高機能カメラに浮気することなく、これをずっと愛用していました。しかし、いつのころからでしょうか、素早いピント合わせができなくなってきたのです。その瞬間を神技のような素早さで撮れなくなってきた、そして満足する写真が撮れなくなってきた。これは致命傷です。「撮る気」とともにわが愛機は、押し入れの片隅に眠ったままになってしまいました。
近年、携帯電話のカメラの機能がよくなってきました。これは、カメラを忘れても、携帯電話は日常的に持っているので、「感動の一瞬」を撮るという機会も増えてきたことを意味しています。デジタルカメラであろうとフィルムカメラであろうと、さらには一眼レフであろうと携帯電話であろうと、要は「感動の一瞬」をとらえ、それを「伝える」ことが大切なわけで、いまは携帯電話カメラを持ち、その機会があるごとに、気軽に、しかし「気」を入れて撮るようしています。
実家の小さな屋上には、四季折々の花が咲きます。我が家の花も含め、携帯電話カメラで撮ってみました。駄作も数多くありますが、「これ、いいね。」と言ってくれる人もあります。残念ながら、花の名前はよく知りませんが、「きれい・かわいい・気持ちいい・花たち」としておきます。
「感動の一瞬」を伝えたい相手、それは「未来の自分」なのかもしれません。
2007/7/7 exblog
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