★《働く》会社ふるさと論
あらまし:社会人としての「ふるさと」とは、会社そのものなのかもしれない。
わたしの生まれ育ちは、東京:三鷹。ここが、いわゆるわたしの人生の「ふるさと」です。
とはいえ仕事や身体の好不調に関わらず、日常生活を過ごしている時に、
この場所を思い出すことはありません。
気持ちのバランスが極度に崩れた時や、さらに深まり噪や欝に襲われた時、
心の奥深くにしまい込んでいた「ふるさと」を想い起こすように思います。
ワインのテースティングでは、次々に各種のワインを味わいますが、
常々、自分の味覚を取り戻すために、脇の下など自分の「におい」をかぐそうです。
「ふるさと」を想い起こすのは、社会の潮流に流され見失った自分を、生まれ育った頃の
自分の「におい」を想い返すために、初期状態に戻す(リセット)からなのかもしれません。
生まれ育ったところが人生としての「ふるさと」ならば、
会社は社会人としての「ふるさと」だと思うようになりました。
会社を新しく創る、ということは、新しい文化を持つ「ふるさと」を創るということ。
組織や体制はそのような企業文化を基盤とした、企業の価値を産み出しますね。
「どこの出身?」
自分の誇りとして「ふるさと」を語れるよう、
またそれまで辞めていった仲間たちのためにも、成長すべく頑張らなければなりません。
「ふるさと」を愛する人であれば、誰しも自分のふるさとの疲弊や消滅を望むものはいないでしょう。
それは、自己のこれまでの足跡、つまりは人生の一部を消去してしまうからだと思います。
『ふるさとは遠きにありて思うもの』
現在、勤めている会社においては、なぜか「ふるさと」という意識はわきません。
退職して、始めて客観的にその会社を見ることができるのでしょう。
退職した会社、自分の育ててくれた会社を思い、
こころにしまい込んでおくことは、とても大切ですね。
スポーツに於ける、自分のホームコース、ホームゲレンデ、ホームグラウンドetc・・・
も同じことがいえます。
過去の会社を、自分の「ふるさと」として、どのように認識できるかによって、
自らの生き方が変わってくるのではないでしょうか。
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